大本営 

  そもそも大本營というのは、戦時における天皇直属の最高統帥機関のことで、大本営会議、大本営陸軍部(参謀本部)および海軍部(軍令部)などで構成されていました。ここにひとつの条例があります。「戰時大本營条例」というもので、明治三十六年十二月二十八日に「勅令第二百九十三号」として発布されました。以下に書きそえます。

 戰時大本營条例
 朕戦時大本営条例改正の件を裁可し並びに之を公布せしむ(総理、海軍、陸軍大臣副署)

  第一条 天皇の大纛下に最高の統帥部を置き之を大本営と称す 

  第二条 大本営に幕僚及各機関の高等部を置く其の編制は別に之を定               む 

  第三条 参謀総長及海軍軍令部長は各其の幕僚に長として帷幄の
                   機務に奉仕し作戦を参画し終局の目的に稽へ陸海両軍の
                   策応協同を図るを任とす 

  第四条 陸海軍の幕僚は各其の幕僚長の指揮を受け計画及軍令に
                   関する事務を掌る

  第五条 各機関の高等部は各其の幕僚長の指揮を受けて当該事務
                を統理す

 これは日露戦争にそなえて、大本營のかたちをきちんと定めたもので、統合大演習時と日清戦争時のものではありません。では、それよりまえ、半田に大本營がおかれたときはどのようになっていたのでしょうか。まだまだ象(かたち)が不完全であったと考えられます。
 ただし、明治ニュース事典編纂委員会編『明治ニュース事典』によれば、大本營は、明治26年(1893)年5月19日、勅令第52号戰時大本營条例(明治26年5月22日付『官報』)によって法制化」されており、戦時の天皇直属の最高統帥(軍隊を支配下におき率いること)機関とされ、同年6月5日参謀本部内に設置されています。しかしながら、大本營がおかれたことは、日清戦争が開始されるまで発表されませんでした。
 ついでながら、菊花紋章の使用禁止が定められたのは明治23年2月28日でありました。

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