
半六倶楽部
半六倶楽部は存続しています 投稿者:つーさん
投稿日: 6月21日(木)16時03分46秒
今回、このような状況に至り、まことに残念です。
サロンの休止により、各ページの表現の変更を行いました。
ただ、有志の集まりとしての、半六倶楽部の休止はしておりません。
今まで同様、ご愛顧をお願いいたします。
半六邸プロジェクトの報告(半田まちづくりサロンとして) 投稿者:池田
投稿日: 6月21日(木)13時24分40秒
池田です。
半六邸プロジェクトについて、経過報告します。
前回のサロンで、諸事の理由で草刈り及び、お茶会に向けた活動を一時中止しました。
本日それに伴い、管理人の小栗明造さんにお会いしました。(水谷さん・池田)
まず、結論からもうしますと。小栗さんとしては、しばらく冷却期間(数ヶ月から半年くらい)を持ちたいと
のことでした。
それから今後については、小栗さんのお気持ちとしては、阿知波さんを通した形で接したいとのことでした。
ですので、今後については、サロンの中で、半六邸プロジェクトを長い目で接してゆきたいと思います。
また、今後少し時間をおいた後、プロジェクトとしてきちんとした形で小栗さんと連絡を取りながら、いろい
ろ活動させてもらうのがベストであろうと思います。
それから、今回これまでの真摯なみなさんの活動に関しては悪い印象は持っておられませんでした。ただ、管
理人としてあの場所を開放していただいていた経緯を申しますと、「みなさんの遊び場所としてお使いくださ
い。」ということです。
今回、お茶会やそれに向けた活動が活発になり、その趣旨から逸脱していった経緯があることも否めません。
少々熱が上がりすぎた経緯もあります。
これまで、成り行きのままに、事が進んでしまった経緯があります。それについては、サロンやプロジェクト
としてのあり方が正に問題になっていたと思います。サロン・プロジェクトに関しては前回の定例会で確認した
とおり「サロンを場として捉える」「プロジェクトはそのプロジェクトを共有する人達で責任を持って進めてゆ
く」ということであろうと思います。
これらが曖昧なまま進んでしまった結果が、今回のことであると感じています。
ここでしばらく作業を中断すると言うことで、サロンとしては対応したいと思います。(実質的には草刈り・
お茶会に向けた活動を休止します。)少し時間をかけて、先程の管理人さんの趣旨を踏まえて、また半六邸と関
わることをみなさんと考えてゆきたいと思います。管理人さんも、時間をおいてまたあの場所を開放していただ
くことに対して否定的でないように感じました。
これまでの作業に関わってこられた方で、しばらく中断することが残念な気持ちは私も同じですが、ご理解願
いたいと思います。
ということで、半六邸プロジェクトをサロンとしては、白紙に戻したいと思います。改めて秋頃に向けて管理
人さんや家主さんの理解のもとで、みなさんと半六邸プロジェクトを立ち上げてゆきたいと思います。
以上、報告です。
re:ご情報を 投稿者:池田 投稿日: 6月20日(水)10時01分43秒
細かな連絡が出来ずすいません。
先方と調整した結果、お会いする日は、明日になりました。明日のお昼頃には取りあえずみなさんに連絡でき
ると思いますが、今のところ感触は解りません。
後、半六邸のお茶会に向けてのこれまで作業に関わった方のお気持ちは伝えたいと思います。ただ一つ、サロ
ンからお願いにあがる上で、一つ注意すべき点があると思っています。それは、半六邸は現在個人の大切な資産
であると言うこと。もう一つは管理を任された明造さんがおられるということ。それを踏まえた上で、お話をす
るつもりです。
ですので、秋まで作業を継続させていただく。その節目としてお茶会の準備もさせてください。と言うことだ
ろうと思います。お話がうまく進んだとして、半六邸プロジェクトの責任者を明確にしてゆく必要があります。
(これはその後の問題)
、、、、まず一つずつ進めてゆくしかありません。
ご情報を 投稿者:中根 投稿日: 6月20日(水)08時34分12秒
サロンの事務局長、池田さんにお尋ねいたしたいとおもいます。
先回のサロンで、半六邸の使用の再交渉を月曜or火曜日のAPに行なう。との合意がなされておりましたが、
交渉の経過をお教え願えませんでしょうか?
「準備は慎重に、行動は敏速に!」は、良く分かりますが。。。。
電話やらメールやら…… 投稿者:秋月 投稿日: 6月20日(水)02時12分34秒
このところ、半六邸の作業中止ならびに、ぼくの「はんだまちづくりサロン」脱会のついて、いろいろと叱咤
鞭撻をいただいておりますが、ぼくは繰りかえしますが、半六邸の完全復元計画から手をひくつもりは毛頭あり
ません。掲示板に書きこみをしてくださっている方々、どうもありがとうございます。
しかしながら、いまは、充電期間であるとおもっています。草刈の作業ができなくとも、ここで「半六邸周辺
の基本的なことども」を書きつづけることで、ここを訪れたひとびとが、なんとなく「半六邸とその時代」につ
いて理解を深めてくだされば嬉しいとおもっているのです。
半六倶楽部は、中埜半六邸の復元をめざして……祈念して……創ったものです。この日本国半田市において、
半六邸を復活させたいとおもっているひとがひとりでもいるかぎり、半六倶楽部は解散しませんし、このサイト
が撤収することはありません。半六邸は、いわば、半田市の象徴のようなものなのだとおもっています。半田市
長選挙がおこなわれている最中ですが、半田はもはや襤褸雑巾のような状態です。もっといえば、朽ちはてる前
夜の廃墟のようなものです。要するに「半六邸」なのです。半六邸を一生懸命で蘇生させることが、ひいては半
田市を蘇生させることであると、ぼくは信じています。
半田市は、まだまだ捨てたものではありません。半六邸を復元したいといったときに、いかに町のひとびとが
立ちあがってくれたか。それをおもうと、半六邸という象徴があるかぎり、半田市は「まち」を再生させるちか
らはまだまだあるとおもうのです。ですから、たったひとりでも、半六邸にこだわりつづけるものがいれば、そ
れをほんのすこしづつでも、半田のひとびとが知るところとなるでしょうし、それはやがて、おおきな渦になっ
てゆくかもしれません。
その期待が、わずかでもあるかぎり、ぼくは半六邸にこだわりつづけます。
基本的なことども3 投稿者:秋月 投稿日: 6月19日(火)19時19分53秒
年表のつづきです。
明治18年1月 朝鮮国との交渉を行っていた井上馨、帰国
金宏集朝鮮全権、井上に亡命した金玉均らの引き渡しを要求
2月 朝鮮国正使徐相雨ら来日、明治帝に国書を奉呈
3月 福沢諭吉、時事新報に「脱亜論」を発表
4月 伊藤博文大使、清国と甲申事変の処理として天津条約締結
同月 英国公使、英国海軍による巨文島一時占領を通告
5月 天理教、神道事務局6等教会となり合法化
7月 駐清公使榎本武揚、天津に李鴻章を訪問
日清共同による朝鮮内政改革と大院君の帰国を提議
11月 自由民権運動の再興をめざした朝鮮でのクーデターによる日清対立計画が発覚
自由党の大井憲太郎ら139名、大阪にて逮捕さる(大阪事件)
12月 太政官を廃し、内閣制度を定む(総理大臣伊藤博文)
明治19年1月 朝鮮政府と絶影島地所借入約書に調印
2月 松本大火、1100戸焼失
同月 各省官制制定
3月 帝国大学令公布
同月 参謀本部条例を改正、陸軍部と海軍部に分けらる
同月 井上馨外相、日清修好条規改正を清国政府へ提議するよう、公使塩田三郎に指示
6月 長崎県喜々津村大火、1000戸焼失
7月 東経135度子午線を標準時と設定
10月 英国貨物船ノルマントン號、熊野灘で座礁沈没、日本人23人は救助されず
12月 水戸大火、1800戸焼失
明治20年2月 武豊行幸(23日、長尾山観兵台より陸海軍対抗大演習を天覧、鳳翔閣にて御昼餐)
9月 日本麦酒醸造会社設立
12月 保安条例を公布し星享・中島信行ら570名の東京退去を命ず
明治21年4月 憲法審議の天皇諮問機関として枢密院設置
5月 鎮台条例を廃止し、師団司令部条例、旅団司令部条例を公布
同月 日本麦酒醸造会社、麒麟ビールを発売
9月 駐清公使塩田三郎、日清条約改正難航のため、一時中止と将来の交渉再開を清国に通告
10月 新皇居、完成し、宮城とあらためる
同月 清国、日清条約改正交渉の一時中止と将来の再開を了承
明治22年1月 日本標準時を開始
2月 静岡一番町で大火、1200戸焼失
同月 大日本國憲法、皇室典範、議員法、貴族院令、衆議院議員選挙法、大赦令、会計法公布
同月 明治帝、青山観兵場へ臨幸、帝大教授外山正一の音頭で萬歳三唱が始めて行わる
森有礼刺さる
3月 参謀本部条例、海軍参謀本部条例公布
10月 大隈重信、玄洋社の来島恒喜に爆弾で襲われ重傷を負い、来島は自殺
明治23年3月 第1回陸海軍統合大演習、半田にて行わる
7月 第1回衆議院議員総選挙施行
10月 元老院廃止・教育勅語下る
11月 帝国議会開院式
12月 東京・横浜間に電話開始
明治24年5月 大津事件
7月 軍艦浪速號にて伊勢より武豊に行幸、沢田新地船桟橋より御上陸、鳳翔閣にて御昼餐
10月 濃尾大地震、マグニチュード8.4、死者7466人、全壊142177戸
基本的なことども2 投稿者:秋月 投稿日: 6月19日(火)19時18分56秒
世相としましては、このあたりあまりよろしくありません。
明治10年1月 西南の役(〜9月)
明治11年5月 大久保利通暗殺さる
12月 参謀本部設置
明治12年3月 琉球藩王に廃藩置県を伝え、藩王を華族に列し、東京居住を命じる
4月 琉球藩を廃し、沖縄県を設置
5月 清国公使、日本の琉球編入に抗議
7月 琉球関係者、清に援助を要請
8月 明治帝・グラント前アメリカ大統領、琉球処分などについて会談
明治13年10月 李鴻章、朝鮮に対し、日本およびロシアに対し備えるよう勧告
11月 鴻章、琉球分割による最恵国待遇条約に反対する旨皇帝に上奏するも、条約調印されず
明治14年5月 陸軍戦時編制規則制定
6月 参謀本部施設完成
10月 詔して明治23年を国会開設の期と定む
明治15年1月 軍人勅諭
7月 朝鮮王国漢城で軍隊が俸禄米支給遅延に反発して蜂起、重臣や日本人軍事顧問らを殺
害。
日本公使館も襲撃され、公使花房義質らは一旦脱出
日本政府は軍艦4隻を派遣し、清朝政府も北洋艦隊を派遣す
壬午事変である
8月 軍隊に非常事態統治権の戒厳令制定
清国政府、属邦保護のためとして朝鮮派兵を通告
吉田清成外務卿代理、日本は朝鮮を自主国と認めると通告
壬午事変の賠償金と公使館駐兵権、開市・開港などを定めた済物浦条約が調印
12月 福島事件
明治16年3月 高田事件
7月 日本人民貿易規則、海関税目規則、間行里程取極約書、日本人漁民取扱規則を調印(対
朝鮮)
明治17年6月 鹿鳴館にて西洋舞踏の練習はじまる
7月 華族令を定め、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵が置かれる
9月 加波山事件・秩父事件
12月 朝鮮王国漢城で、金玉均ら改革派独立党がクーデターを敢行、武力で王宮を占領
後、国王に日本軍の出動を強要、守旧派閔泳穆らを殺害し、政権を掌握する
朝鮮王国の閔妃らに要請された清国軍が漢城王宮を奪回
日本軍は撤収、日本公使館なども放火され、独立党のクーデターは失敗に終る
同月 愛知県と長野県の自由党員による名古屋鎮台襲撃計画が発覚
村松愛蔵ら、逮捕さる(飯田事件)
基本的なことども1 投稿者:秋月 投稿日: 6月19日(火)19時16分19秒
大本營というのは、どういうものかについて、その片鱗をお伝えしておきましょう。
そもそも大本營というのは、戦時における天皇直属の最高統帥機関のことで、大本営会議、大本営陸軍部(参
謀本部)および海軍部(軍令部)などで構成されていました。ここにひとつの条例があります。「戰時大本營条
例」というもので、明治三十六年十二月二十八日に「勅令第二百九十三号」として発布されました。以下に書き
そえます。
戰時大本營条例
朕戦時大本営条例改正の件を裁可し並びに之を公布せしむ(総理、海軍、陸軍大臣副署)
第一条 天皇の大纛下に最高の統帥部を置き之を大本営と称す
第二条 大本営に幕僚及各機関の高等部を置く其の編制は別に之を定む
第三条 参謀総長及海軍軍令部長は各其の幕僚に長として帷幄の機務に奉仕し作戦を参画し
終局の目的に稽へ陸海両軍の策応協同を図るを任とす
第四条 陸海軍の幕僚は各其の幕僚長の指揮を受け計画及軍令に関する事務を掌る
第五条 各機関の高等部は各其の幕僚長の指揮を受けて当該事務を統理す
これは日露戦争にそなえて、大本營のかたちをきちんと定めたもので、統合大演習時と日清戦争時のものでは
ありません。では、それよりまえ、半田に大本營がおかれたときはどのようになっていたのでしょうか。まだま
だ象(かたち)が不完全であったと考えられます。
ただし、明治ニュース事典編纂委員会編『明治ニュース事典』によれば、大本營は、明治26年(1893)
年5月19日、勅令第52号戰時大本營条例(明治26年5月22日付『官報』)によって法制化」されてお
り、戦時の天皇直属の最高統帥(軍隊を支配下におき率いること)機関とされ、同年6月5日参謀本部内に設置
されています。しかしながら、大本營がおかれたことは、日清戦争が開始されるまで発表されませんでした。
ついでながら、菊花紋章の使用禁止が定められたのは明治23年2月28日でありました。
半六邸プロジェクト 投稿者:YAMAKEN 投稿日: 6月19日(火)14時44分09秒
文化とは何か。いつも考えます。
文化とは、魅力あるものに対して引き寄せられ、多くの人が繰り返し繰り返しおとづれるようになることだと思
うようになりました。そして、そこで人と人とが結びつき、広がっていく。人を生き生きとさせるもの。
だから、単に多くの人が集まったとしても、都会は文化とは言わない。集客力が多くても、一時的なら文化とは
言わない。商業施設が多くて、発展しているように見えても、人と人を結びつけないのなら、それは文化とは言
わない。
このことに、価値があるとわかる人とわからない人とがいます。つい、集客力が多く、お金を生み出す施設に目
を奪われてしまう。けれども、それらは、結局は一時的なものです。
半六邸復元プロジェクトは、まさに文化の創造だと思いました。復元に向けて多くの人が動いただけでも文化な
んです。
この復元にかけるみなさんの想いは、ものすごいものがあり、みさなんの目も生き生きとしていました。
この流れを止めてはいけない。あきらめてはいけない。止めないように、今考えられるあらゆる手立てを考えて
いきましょう。
http://www.chitac.com/
私もですよ。(^^) 投稿者:豊島 投稿日: 6月19日(火)13時18分42秒
豊島です。僕ももちろんそうです。終わってません!(^^)
私はヘルプしたい 投稿者:加藤 投稿日: 6月18日(月)23時47分32秒
私も,まだ終わっていません。
まだ終わっていません。 投稿者:池田 投稿日: 6月18日(月)16時04分17秒
まだ終わっていません。閉ざされていません。
今少し、調整を進めています。現状は楽観は出来ませんが、可能がある限りアプローチします。
これは、半六邸に触れた人みなさんの思いだと信じます。